「イキリオタク」 と 「リア充」の境界線とは~オタクの増加でどうなる!?日本~
突如生まれた「イキリオタク」というパワーワードは、SNSを中心に破竹の勢いで定着しつつある。
もはや俺オタクだけど~から始まる構文は見慣れた…という読者も多いことだろう。
また、よくあるオタクへの偏見ツイートに喰らいつく姿も記憶に新しい。
そんな彼らの定義を見返して連想されるのは、純粋な陰キャオタクが電脳世界でウェイを演じているケースだ。その場合、自分だけは他のオタクとは違う。そんな承認欲求、優越感が動機だといえよう。
しかし、ツイート文面だけでそんな事が断定できるとは到底思えない。
これを例にして考える。
寧ろ逆のケース。オタク的嗜好のリア充が真実を語っているケースもありうるだろう。
動機はオタクへの偏見を取り払うための真実の布教だとする。
そうであるならば、彼は先程と同じようにイキリオタクとして括られてしまうのか?
言い換えてみる。
ここにリア充が居るとしよう。彼女持ち、友達いっぱい。50m走は6秒台、誰もがうらやむ完璧イケメン。
さて、そんな彼が実はオタクであり、SNSでオタクへの偏見に抗議していた場合。彼はイキリオタクとして分類されるのか?
答は賛否両論で白黒つけがたいものである…というのは、あまりにも不可思議であり、理不尽ではないか?
リアルの充実したイキリオタク。彼はふたつの特性を併せ持つという事になってしまうのだ。
とどのつまり、イキリオタク∩リア充の状況に陥る可能性すらあるのである。
このように、それぞれの定義を隔てる境界線は極めて薄いといえる。
それが偽りでない限り、イキリオタクとリア充の明確な区別はつかない。
趣味が違うのみで、定義の面で見れば同じような存在なのだ。
そう、イキリオタク≒リア充なのである。
Q.E.D.証明完了